大いなる存在の入り口
今から書くのは個人的な意見なので鵜呑みにはしないでくださいm(__)m汗!
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わたしは頭で考えている人ではない!!
思考は思考。わたしではない!!
実際絵を描いたんですけど下手なんで画像を作りますた…
こんな感じかなぁ?というただの予想です^^;
頭からくる欲求ではなく体の中から感じる欲求を感じる。
外はただの思考の反映(投影)。
本当のわたしはわたし(と思っている体)の内側にある。
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またまた作ってみますた。
ただのイメージですが。
だから、なんというか。。
ふつうに目で見て判断すると、どうしても思考のレッテル貼りが始まります。
なので、レッテル貼りをするのをやめるということです。
そのためには、みぞおちらへんで、世界を(物事や、物質、いろんなもの)を見るイメージがいいかな、と思いました。
いちばんレッテル貼りをやめるべきなのは“自分”ですが。
なにかを見るときに、みぞおちを意識。
なにかを聞くときに、みぞおちを意識。
体の内側を意識すると、「今に在る」ことができるとエックハルトさんはおっしゃっていました。
なので、みぞおちを意識しながら、ほんとうに「見る」、「聞く」など、、できたらいいですなぁ。と、いうより、実践してみます。
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本当のわたし(大いなる存在)はまったき意識。
なのでもちろん形はない。
神とも言えるその意識は、目を作り、顔を作り…。
神(大いなる存在)の表現なのかもしれない。
神っていうと、ヒゲ生やしたオッサンをイメージしちゃいがちですけど、まったく形を持たない存在と思ってもらっていいです。(それは私たちなんですけど。とかいうとややこしくなるので一旦置いときます)
人間や花々、星、動物…
すべて神であり、神の一部。
(すべて大いなる存在であり、大いなる存在の一部)
(すべてわたしであり、わたしの一部)
わかりづらかったらスミマセン
次の記事に続きます。