結局

なんも考えないで生きるのが一番だと思いました。

 

思考はこの人生の主役じゃないんですね。

 

考えても仕方ないんですよ。

 

自然に任せていけばいいと思います。

 

「わたしが生きるんじゃないの?」

 

そうです、わたしが生きるんです。

 

思考や感情が生きるんじゃないんです。

 

思考は、現状をどうこうする力はなく、過去から学ぶことしかできません。

 

実際、時間が流れているように感じますが、ほんとうは「今」しかありません。

 

過去はあります。未来もあります。概念的に存在します。

 

が、結局この人生で体験できるのは「今」だけなんですね。

 

過去体験したことは、常識的なことしか「今」生きません。

 

たとえば、電車に乗るときは事前に調べておいた方がいい、とか、好きな映画のジャンルはサスペンスだな、とか色々体験したことから知識得ますよね。

 

よく赤ちゃんの頃になった気で生きればいいとか言われますが、赤ちゃんは知識皆無なのでやめておいた方がいいです。

 

なんも余計なこと考えずに生きれば100点だと思います!

 

そうすると、自我ができることって、楽しむことしかないんですよ。

 

なんもすることがないんで…

 

生きるのってめんどくさいことばっかじゃんって思ってた私にとっては朗報です!!!!

 

楽しむといっても、、自然と楽しむしか無くなるというか、楽しもう、と意気込んでない感じです。うまく言えないけど…

 

傷ついた、とかイライラした、とかこれからも色々あると思うんですけど。

 

それ自体が間違ってるわけじゃなくて、間違ってるのは、傷ついたことをアイデンティティにすることなんです。

 

エゴは人生の主役になろうとします、それを阻止する(気づく)だけでいいと思います。

 

大いに傷ついて結構、イライラして結構、泣いて結構!∩^ω^∩

 

でも、それは(本来のわたし)とは、なんも関係ないものだと気付いておけば、いいと思います。

 

今に在る、とか、無駄に意識すると、返って生きづらくなるし、結局「今、今に在ろう、今今!」って、思考が言ってるんですよ笑。

 

そこに気づけば、ほんとうに、ブッダのいうとおり、「苦しみ」から解放されます。

 

「悟るということは、苦しみから解放されることだ」

 

って言ったんですね。

 

ぶっちゃけどっから悟ってるとかこれまた分かりやすいのが無いので、悟るもクソもないと思います。

 

悟るエゴ(自我)はいない!

 

じゃあとりあえず苦しみから解放されたいなーと思い始めて。

 

ながいのでまた次の記事に続きを書きます。